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志田未来ちゃんの 画像&掲示板&14歳の母妊娠ドラマ&水着&制服についてのです。
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落語家・林家三平の弟子に、一人の男がいた。破天荒な行動で何度も破門となったが、その度に両親や姉が頭を下げ、それに免じて再入門を繰り返していた。そんな本間良介も27歳で結婚し娘が誕生した。
本間良介は娘に幸江と名付け、周囲が驚くほど溺愛した。自由奔放な性格が変わることはなく酒やギャンブルにひたる日々が続き、結婚3年目に離婚を決意し幸江を連れて出て行くことになった。幸江が1歳で生き別れることになった。その後も度重なる素行不良で、破門で落語会を永久追放された。
本間良介は酒とギャンブルに溺れ借金もふくれあがり、別れた妻と娘にもきっと娘は自分を恨んでいるに違いないと思って過ごしてきた。2003年、55歳になっていた本間良介は友人に借りた金で東京多摩市にライブバーを開いたものの経営は思わしくなく、アパートを借りる金もないので店で寝泊まりする毎日だった。
日、彼のもとに1歳の時に別れた娘・幸江から手紙が届いた。手紙には、幸江が興信所に頼んで住所を調べたこと、会ってみたいけれどやめたほうがいいと思うこと、そして生きているうちに一言「生んでくれてありがとう」と伝えたかった、という言葉が並んでいた。
shifoさんにも手紙を見せると、娘を一日たりとも忘れたことがないと聞かされていた彼女は「良かったね」と本間良介に言葉をかけた。
本間良介は一心不乱に返事を書き続けた。
返事を出すことはできなかった。手紙には幸江の住所は封筒の裏には郵便局あてに「郵送先に誤りがあり届かない場合は破棄してください」と書かれていた。そんな中、本間良介が娘に書いた返事にshifoが曲をつけた。
彼女は歌にして歌ったらいつか娘に届くのではないかと思ったのだ。shifoはmihimaruGTの「気分上々↑↑」を作曲するなどシンガーソングライターとして活躍していたのだ。幸江から手紙が届き、本間良介は変わった。
周囲も驚いたのだが酒をやめ、届くか曲を歌い続け、shifoとコンビを組みライブ活動を始めた。歌がうまいわけではなかったがなぜか人の心に響き、気づけば日比谷野外音楽堂で単独ライブを行うまでになった。
ライブは福岡でやることが決まったのだが、それは特別なことだった。
幸江の手紙の消印が福岡だったからだ。福岡に向かうと、入った店の主人が新聞記者の知り合いで、本間良介のことが記事になった。これで娘に会えると本間良介は信じて疑わなかった。
ライブ当日、本間良介は手紙に貼ってあった写真をもとに娘の姿を探した。娘の姿を見つけることはできなかった。娘が自分に会わない選択をしたのだと思ったが、幸江にも事情があった。1歳で本間良介と別れた幸江は、4歳の時に母親が再婚し、いつも優しい父親と祖父母に囲まれ何不自由なく成長した。
彼女が本当の父親の存在を知ったのは小学校2年生の時。
保険証に「養女」と書かれていることを思い、その時に母親が教えてくれたのだ。母親は、本当の父親は幸江を捨てたわけでは恨まないようにと話した。それ以来家族の中で実の父親の話題がのぼることはなく、幸江にとってその存在は宙ぶらりんのまま月日がたった。
23歳の時に車購入のために戸籍謄本を取り寄せたところ、そこには父親の名前が記されていた。
父親の存在が急に現実のものに思われ、幸江は生きているうちに気持ちを伝えたいと興信所に頼んで住所を調べた。
住所はわかったのだが、彼女はすぐには手紙を出せずにいた。頃に幸江がいじめられると、普段は無口で静かな父が本気で彼女を守ってくれた優しい姿を忘れられなかった。
自分が父と連絡をとるのは、愛情を注いでくれた父親を裏切ることになるのではないか、と思ったのだ。幸江は一年も手紙には2人だけの秘密にして欲しいと書いた。
手紙が戻らないための細心の注意も払った。由もない本間良介が福岡のライブから東京に戻って4日目、彼は店で脳梗塞で倒れた。
右半身が麻痺し、れつも回らなかった。娘から手紙をもらう前の本間良介だったら、生きることを諦めてしまっていたかもしれない。娘に手紙をもらった時、片隅に小さく「誇り」と書いた。
娘に恥じない生き方をしようと決めたのだ。本間良介は昼も夜もリハビリに取り組んだ。早く娘に誇れる父になりたかった。その頃、幸江は自分のために父が福岡でコンサートをしたことをネットで知った。
涙が次から次へと溢れてきた。2005年12月24日、脳梗塞からわずか2ヶ月で退院した本間良介に、幸江から電話がかかってきた。
本間良介は手紙をたことに感謝を述べ、福岡でのライブを見に来て欲しいと幸江に伝えた。2006年2月25日、福岡でのコンサートの前日、幸江のもとに本間良介がコンサートまでに間に合わせようと必死になって作った本が届いた。
手紙をもらってから始めた本間良介の絵や書が掲載されていた。幸江が本間良介に送った手紙も載っていた。
秘密にして欲しいと書いたはずの幸江は傷ついた。もとに幸江の友人から、コンサートには行けないと電話が入った。娘に会える、その嬉しさから調子に乗った本間良介の大失敗だった。出版を差し止めた本間良介はショックから立ち直ることができなかった。
一方で父親に会うのをやめようとしていた幸江に母親は、「自分に嘘はつかない方がいいよ」と言葉をかけた。 コンサートが始まり、本間良介は何気なく客席の最前列に目をやった。
幸江の姿があった。28年ぶりの再会だった。
涙で歌うことはできなくなっていた。客席の幸江も涙を流した。話をした。
本間良介は生きてて良かった、やっと人生が始まると思った、と思い出す。今年6月16日、本間良介は福岡でのコンサートを行った。
知らせがあった。化粧品の社長として活躍している幸江さんが、メイクとしてコンサートを手伝ってくれることになったのだ。幸江さんは関係を、みんなに父親がいて幸せだね、と言ってもらえるようになって良かった、と話す。
関係になることができたのは、父親と母親のお陰だと思っているという。

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